東京に戻ったのは日曜の夕方だった。
部屋に入って、ザックを下ろした。
床には、まだ付箋と記事と、三冊のノートがあった。
奥多摩に行く前と、何も変わっていなかった。
でも、エマが変わっていた。
夕食を作りながら、考えた。
二年前に来た男。
老人は名前を言わなかった。エマも聞かなかった。
同じ目、と老人は言った。
あの祠の記号を見てわかる人は久しぶりだ、とも言った。
つまりその男も、あの記号を見てわかった。
どういう意味で、わかったのか。
エマはわかったのか。
わからなかった。
でも、知っている形だった。それは確かだった。
食後、ノートを開いた。
奥多摩のページに、記号を描いた。
記憶で描いた。
螺旋。星。見たことのない文様。
描きながら、手が震えた。
震えている理由が、わからなかった。
次の日から、調べ方が変わった。
イランでも、黙示録でもなく。
日本の古代。サンカ。縄文。山岳信仰。奥多摩の祠。
検索しながら、あの記号に似たものを探した。
三日目の夜。
一つのブログにたどり着いた。
更新は止まっていた。最後の投稿は、二年前だった。
タイトルは「奥多摩で見たもの」。
写真が一枚あった。
あの祠だった。
同じ記号だった。
エマは画面に顔を近づけた。
記事を読んだ。
書いた人物の名前は、なかった。
ただ最後に一行。
「時が来たら、山へ行け」という言葉の意味が、少しだけわかった気がした。
エマはその一行を、何度も読んだ。
時が来たら、山へ行け。
エマは山へ行った。
呼ばれたわけではなかった。
でも、呼ばれていたのかもしれなかった。
ブログのプロフィール欄には、名前の代わりに一文字だけあった。
透。