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第十章

実行

グリニッジ標準時 午後十一時五十分

ニューヨーク セントラルパーク

気温が低かった。

十一月の夜だった。

公園は暗かった。

観光客はいなかった。

だが、人はいた。

透は木々の間から、オベリスクを見た。

三人の気配があった。

コンラートの人間だった。

昨日より一人増えていた。

透は動かなかった。

弥山の声を思い出した。

気配を消せ。

透は呼吸を落とした。

体温を下げるように意識した。

存在を、薄くした。

三分後、一人が透の二メートル横を通り過ぎた。

気づかなかった。

消えた。

透は木々の間を、音を立てずに動いた。

獣道を走る夢の動きだった。

夢で何千回も練習してきた動きだった。

オベリスクまで、三十メートル。

二十メートル。

一人の気配が、向きを変えた。

透は止まった。

石になった。

気配が、遠ざかった。

十メートル。

五メートル。

透はオベリスクの前に立った。


時計を見た。

午前零時まで、三分。

透は目を閉じた。

遠視を、解放した。


ロンドン。

テムズ川沿い。

アルジュナがクレオパトラの針の前に立っていた。

目が閉じられていた。

唇が、微かに動いていた。

詩を唱えていた。


パリ。

コンコルド広場。

エリックが立っていた。

手袋をしていた。

外していた。

素手でオベリスクに触れようとしていた。


ローマ。

サン・ピエトロ広場。

ソフィアが立っていた。

震えていた。

体が震えていた。

恐怖ではなかった。

何かが、体の中から出ようとしていた。


ワシントン。

ナショナル・モール。

レイニーが立っていた。

石板を胸に抱えていた。

空を見上げていた。


五人、全員、いた。

全員、動いていた。

透は現実に戻った。

時計を見た。

一分。

透は深呼吸した。

そして、詩を思い出した。

タミル語だった。意味がわかった。

我々はここから来た。海の底に今もある故郷から。忘れたことはない。一度も忘れたことはない。眠っていただけだ。今、目を覚ます。今、思い出す。我々は一つだった。また一つになる。

三十秒。

透はオベリスクに手を伸ばした。

冷たかった。

三千五百年前の石だった。

何千万人の意識を眠らせてきた石だった。

透は触れた。


零時。

透は唱え始めた。

声に出した。

タミル語で唱えた。

公園の暗闇に、声が流れた。

誰かが気づいた。

コンラートの人間の一人が、振り返った。

走ってきた。

透は止まらなかった。

唱え続けた。

男が叫んだ。

何語かわからなかった。

透の腕を掴もうとした。

その瞬間。

オベリスクが、振動した。

物理的に振動した。

男が止まった。

足が、動かなくなったように見えた。

振動が大きくなった。

透の手から、熱が流れ込んできた。

いや、違った。

流れ出ていた。

血の記憶が、石に流れ込んでいた。

縄文の記憶が。ムーの記憶が。二十二種族の記憶が。


遠視が来た。

制御できなかった。

全部が、同時に見えた。

アルジュナの詩が、テムズ川に響いていた。

川面が、光っていた。

エリックの手から、北欧の氷河の記憶が流れていた。

ソフィアの体が発光していた。

緑の光だった。

ネフィリムの血が、最後の仕事をしていた。

レイニーの石板が、ワシントンの夜空に向かって、記号を投影していた。

五つの場所で、同時に、周波数が変わった。


ジュネーブの地下室で。

コンラートが立ち上がった。

スクリーンの波形が、全て、反転していた。

「何が」

部下が言えなかった。

「何が起きている」

コンラートはスクリーンを見た。

緑の点が、全て、別の色になっていた。

青白い光だった。

「止めろ」

「止められません。信号が逆転しています。制御を受け付けません」

コンラートは初めて、感情を見せた。

怒りではなかった。

困惑だった。

長い、長い時間をかけて構築したシステムが、逆転していく音がした。

コンラートは壁に手をついた。

ゆっくりと、膝をついた。

何千年分の疲れが、一度に来たような姿だった。


透はオベリスクから手を離した。

詩が終わっていた。

公園が、静かだった。

コンラートの人間たちは、いなくなっていた。

透は空を見上げた。

雲がなかった。

星が多かった。

その中の一つが、明るかった。

今まで見た中で、一番明るかった。

点滅した。

一度だけ。

透は笑った。


スマートフォンが鳴った。

アルジュナからだった。

電話に出た。

何も言わなかった。

アルジュナも何も言わなかった。

お互いの呼吸だけが聞こえた。

それで十分だった。