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第十一章

波紋

文書が出てから、一週間が経った。

世界は、騒がしくなった。

でも、止まりはしなかった。


ニュースは毎日流れた。

計画書の内容が、少しずつ報道された。

政府は否定した。

組織は沈黙した。

専門家は分析した。

陰謀論だという声もあった。

本物だという声もあった。


でも、確かに何かが変わっていた。

小さく、でも確かに。


テルアビブ 拘束施設

エレズは小さな部屋にいた。

窓があった。

執務室には、なかった窓が、ここにはあった。

皮肉だと思った。


外が見えた。

テルアビブの空が見えた。

青かった。

雲が流れていた。


毎日、尋問があった。

誰と繋がっていたか。

どうやってサーバーにアクセスしたか。

メディアのリストは誰が作ったか。

エレズは答えた。

透とエマの名前は、言わなかった。

ダヴィドの名前も、言わなかった。

自分だけがやった、と言い続けた。


ヨナタンが来た日があった。

尋問ではなかった。

二人だけだった。

ヨナタンは椅子に座った。

エレズも座った。


長い沈黙があった。

「後悔しているか」とヨナタンが聞いた。

「していません」

「本当に」

「本当に」

ヨナタンは窓の外を見た。

青い空を見た。

「俺は」とヨナタンは言った。

止まった。

続きが、来なかった。


エレズは待った。

「俺は」ともう一度言った。

また止まった。


エレズは言わなかった。

待った。


ヨナタンは立ち上がった。

扉へ向かった。

扉の前で止まった。

振り返らなかった。

「杉の話、もう一度教えてくれないか」


エレズは少し驚いた。

でも、顔には出さなかった。

「根は地に。梢(こずえ)は天に。その間に立つ者は、両方を見ることができる」

ヨナタンは黙っていた。

「三十年間」とエレズは続けた。「あなたも空にいた」

「そうだな」

「でも、根はあるはずです。最初から」


ヨナタンは振り返らなかった。

扉を開けた。

出て行った。


翌日。

尋問が、少し変わった。

厳しくなかった。

エレズには、理由がわかった気がした。

でも、確かめなかった。


東京 エマの部屋

文書が出てから十日後。

エマのノートは、五冊目になっていた。


記録を書き続けていた。

エレズのこと。

透のこと。

老人のこと。

ユーフラテスのこと。

奥多摩のこと。

そして、自分のこと。


三月の朝、テレビの前で止まった自分のこと。

付箋が床に散らばった夜のこと。

乗り過ごした電車のこと。

古本屋で声をかけた女性のこと。

バグダッドの空港の空気のこと。

ユーフラテスの夕日のこと。

木箱の手紙のこと。

焚き火の夜のこと。


書きながら、エマは思った。

これは自分の記録ではなかった。

透の記録でも、エレズの記録でもなかった。

忘れていた人間が、思い出した記録だった。


インスタグラムを開いた。

久しぶりに開いた。

フォロワーからのコメントが溜まっていた。

「最近どこ行ったの?」

「キャンプしてないの?」

「更新待ってます」


エマは新しい投稿を作った。

写真は一枚だった。

奥多摩の杉林の写真だった。

光が差し込んでいる写真だった。

文章は短く書いた。


少し、遠くへ行っていました。

戻ってきました。

同じ場所に、同じ光があります。


投稿した。

すぐにいいねが来た。

コメントが来た。

「おかえり」


エマは画面を閉じた。

窓の外を見た。

雨が上がっていた。

空が、青かった。


聖書を開いた。

どこを開くか、決めていなかった。

自然に開いたページを見た。

詩篇だった。

二十三篇だった。

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」


エレズも、同じ詩篇を読んでいた。

エマは知らなかった。

でも、同じものを読んでいた。


奥多摩 透

文書が出てから二週間後。

透は祠の前にいた。

また来ていた。

何度目かわからなかった。


ニュースは続いていた。

計画書への反応は、国によって違った。

信じる国。信じない国。

黙っている国。騒ぐ国。


でも、透には関係なかった。

今は、ただここにいたかった。


祠の記号を見た。

螺旋を見た。

老人の顔を思い出した。

ユーフラテスのほとりで会った老人だった。

もう、いなかった。

でも、ここにいる気がした。

いつも、ここにいる気がした。


スマートフォンが鳴った。

エマからだった。

「エレズから連絡がありました」

透は画面を見た。

「弁護士がついたそうです。時間はかかるけど、大丈夫かもしれないと」


透は返信した。

「よかった」

エマから返信が来た。

「よかった」


同じ言葉だった。

透は笑った。


川の音がした。

鳥の声がした。

風が吹いた。

杉が揺れた。


透は空を見た。

青かった。

雲があった。

でも光があった。


老人の声が、聞こえた気がした。

声ではなかった。

でも、聞こえた。

「三人揃った」


揃った。

三人、揃った。

空から見る者。

地から探す者。

その間に立つ者。


計画は、止まっていなかった。

世界は、まだ騒がしかった。

ハルマゲドンは、まだそこにあった。


でも、思い出した人間が、三人いた。

三人だけではなかった。

エマの投稿を見た人間がいた。

文書を読んだ人間がいた。

記事を読んだ人間がいた。


波紋だった。

石を一つ、川に投げた。

波紋が広がった。

どこまでも、広がった。


止まるかどうかは、わからなかった。

でも、広がっていた。

確かに、広がっていた。