帝都ホテルのロビーは、いつも静かだった。
チェックインカウンターに立つと、世界が少し遠くなる感じがした。
彼はその感じが、好きだった。
ビジネスの現場では、いつも何かに追われていた。数字に、評価に、父の影に。でもここでは、目の前の人だけを見ていればよかった。
「お荷物をお持ちします。」
そう言うと、相手が少し表情を和らげた。その瞬間が、好きだった。
父を超えたいと思っていた。見返したいと思っていた。でもここに来て、初めて気づいた。
俺は、人が笑う瞬間が見たかっただけだ。
それだけのことだった。
百合のことを、時々思い出した。
思い出すたびに、胸に何かが引っかかった。痛みとは少し違う。後悔とも少し違う。
ただ——
百合は今、どこにいるだろう。
それだけ思った。
連絡はしなかった。
する言葉を、持っていなかった。