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第五章

責めるべきもの

「東京で作った愛人の娘」という嘘は、ただの噂よけだと思っていた。

でも今ならわかる。あれは、あの瞬間のための布石でもあった。玄さんは、私を「娘」にしておくことで、いつでも「六本木の女」に変身させられるようにしていたんだと思う。

権力で人を雇うことはできても、人と人がつながることまでは奪えない——前に、そう書いた。

玄さんがやっていたことは、権力そのものを壊すことじゃなかった。権力の歪んだルールを、逆手に取って利用することだった。沖縄の女には何をしてもいいという理屈は、結局そのまま残った。ただ、その理屈の中に、私を「六本木の女」として紛れ込ませることで、私を守った。

それは優しさだったと思う。

ジェームスを責めても、何も変わらない。アメリカという国を、ひとまとめに悪者にしても、何も変わらない。グレイがどうとか、大統領がどうとか、その話が本当だったとしても、誰か一人を名指しして責めることに意味はない。重要なのは、今を生きる私たちが、どんな未来を望むか。どんな未来を創造するかだ。

あの線引きは、誰か一人の悪意でできたものじゃなく、もっと大きなシステムが、長い時間をかけて作り上げてしまった欠陥なんだと思う。最初のボタンを掛け違えた瞬間があったのだとしても、それを今さら責めることに意味はない。

責めるべきは、人じゃない。システム欠陥の方だ。 欠陥があるなら、直せばいい。

玄さんは、もういない。

だが、線引きそのものは、たぶん、まだどこかに残っている。

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