二〇二六年。
甲賀ミサキは、四十四歳になっていた。
その日、彼女は、若い派遣社員の提案を通した。
読みが二つある人を、二つのまま登録する制度だった。
反対したのは、他ならぬ彼女自身だった。最後まで反対して、最後に負けた。
負けたことが、嬉しかった。
その理由を、部下には説明しなかった。
夜、家に帰って、押し入れを開けた。
奥に、古い箱があった。
十年以上、開けていなかった。
中に、ファックス用紙が一枚入っていた。
紙は、茶色く変色していた。
感熱紙は、二十年経つと、文字が消える。
ミサキは、それを知っていた。
だから、開けなかった。
消えているのを、見たくなかった。
ミサキは、紙を取り出した。
そして、広げた。
文字は、ほとんど消えていた。
薄い影が、かろうじて残っているだけだった。
ミサキは、目を細めて、追った。
……歩です。
……くらい、小さい。
……ゼロではありません。
そして、いちばん下。
写真は、真っ白になっていた。
月は、消えていた。
だが、その下の一行だけ、なぜか、はっきり残っていた。
同じ月です。
ミサキは、その一行を、指でなぞった。
インクではなく、ボールペンで書き足された一行だった。
だから、消えなかった。
梶は、最後の一行だけ、手で書いていた。
二十年後に読まれることを、知っていたみたいに。
ミサキは、窓を開けた。
東京の空に、月が出ていた。
三日月だった。
右下が、光っていた。
同じ月の、反対側では、今、左上が光っている。
回っているのは、一つだ。
ミサキは、しばらく、それを見ていた。
そして、部屋に戻って、明日の準備をした。
明日から、新しい制度が始まる。
決めない、という決め方が、正式に始まる。
二十年かかった。
笑ってしまうくらい、遅い。
でも、ゼロではなかった。
了