報告書は、受理された。
そして、無視された。
ダニーデン観測所は、その年の十二月に閉鎖された。
ミサキは、担当を外された。
理由は説明されなかった。次の月から、別の現場に回された。
そして、二か月後、ミサキは会社を辞めた。
正確には、朝、起きられなくなった。
半年、何もできなかった。
閉鎖の前日、ファックスが届いた。
ミサキは、もう会社にいなかった。
ファックスは、室井が受け取って、自宅に転送してくれた。
甲賀様
報告書を読みました。
よく書けていました。特に、日時計の一行がよかった。
あれは、私が四十年前に書けなかったことです。
結果は、ご存じの通りです。
ですが、これだけは言っておきます。
四十年前、私の報告書は、通らなかっただけでなく、破棄されました。
記録に残りませんでした。
今回のあなたの報告書は、残ります。
受理されたからです。
四十年で、一歩進みました。
一歩です。
笑ってしまうくらい、小さい。
でも、ゼロではありません。
梶
追伸
用紙の下に、写真が一枚、貼り付けてあった。
粗い、白黒のファックス画像だった。
夜空だった。
三日月が、写っていた。
だが、向きが違った。
日本で見る三日月は、右下が光る。
写真の月は、左上が光っていた。
ひっくり返っていた。
その下に、一行だけ、書いてあった。
同じ月です。
ミサキは、その紙を、床に置いた。
そして、その前に座った。
長いこと、座っていた。
同じ月。
同じ地球。
同じ自転。
回っているのは、一つしかない。
北から見るか、南から見るかで、逆に見えるだけだ。
それだけのことで、人は片方を嘘だと決める。
片方を切る。
片方に、四十年を使わせる。
ミサキは、床に指で、丸を描いた。
そして、その真ん中に、縦に線を引いた。
丸が、二つに割れた。
「……これだ」
割った瞬間に、どっちが正しいかの話が始まる。
右か左か。北か南か。時計回りか、反時計回りか。
割らなければ、そんな話は、起きない。
ミサキは、線を消した。
もう一度、丸を描いた。
今度は、線を引かなかった。
代わりに、丸の中に、点を一つ、打った。
「マル チョン」
点は、丸の中にいた。
外に出ていなかった。
対立していなかった。
ミサキは、その点を、長いこと見ていた。
半年後、ミサキは働き始めた。
別の会社だった。同じような仕事だった。
そして、彼女は、まったく別の結論を持って戻ってきた。
決めないと、しわ寄せは弱い人に行く。
梶は、四十年、南半球にいた。師匠は、二度と観測をしなかった。
決められなかったから、そうなったのだ、とミサキは思った。
誰かが、はっきり決めていれば。
上を説得できる形で、はっきり決めていれば。
そう思うことにした。
そう思わないと、朝、起きられなかった。
ミサキは、決める人になった。
十年後、彼女は現場の統括になった。
判断が速く、正確で、迷わなかった。
部下は誰も、彼女が三週間かけて「両方正しい」と書いたことを知らなかった。
彼女自身も、思い出さないようにしていた。