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プロローグ

選ばない女

市役所の蛍光灯は、どこへ行っても同じ色をしている。

田辺麻衣は、窓口の番号票を握ったまま、天井を見上げた。 白い光。影のない光。 そこに立っている人間をすべて等しく照らし、等しく疲弊させる種類の光だ。

「田辺麻衣さん」

呼ばれて窓口へ向かう。 担当者は二十代後半の男で、画面を見ながら書類を確認し始めた。 そして止まった。

「あの……」

「はい」

「戸籍の、性別欄なんですが」

男性、と書いてある。 麻衣は女だ。二十九年間、ずっとそうだった。

担当者は立ち上がり、奥へ消えた。しばらくして、三人で戻ってきた。

謝罪は丁寧で、長くて、少し滑稽だった。 麻衣は怒らなかった。 怒る理由がなかったというより、もっと深いところで、人が間違えるという事実に、ずっと前から慣れていたからだと思う。

国家でさえ、女を男と書き間違える。

帰り道、麻衣はふと考えた。

戸籍の性別欄という小さな枠に「男」と書かれた女。 それが訂正されるまでの間、書類の上では彼女は存在しない性別をもつ人間だった。 国にとって。システムにとって。

では、女が自分の意志を行使しないとき——誰と寝るか、誰を選ぶか、誰のために微笑むかを、自分で決めないとき——女は何者として存在しているのだろう。

これは、その問いを一人で抱えた女の話だ。 そして気がつけば、世界が少しだけ変わっていた、という話でもある。


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