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第一章

からだの地図

術後三年が経っても、麻衣はときどき自分の胸を触る。

癖、というより確認だ。 そこに何もないことを、もう一度確かめる。 子宮も、卵巣も、乳房も——女であることの証明として社会が名指してきた器官が、順番に取り除かれていった。 乳がんが最初で、子宮筋腫が次で、卵巣囊腫が最後だった。 三つの手術を経て、麻衣の体は医学的に女でも男でもない、ある種の中間地点に着地した。

市役所の書類が「男」と書いていたとき、麻衣がほんの一瞬だけ笑いそうになったのは、そういう理由からだ。

正確かもしれない。

その考えは一秒も経たないうちに打ち消した。 でも消える前に、確かにそこにあった。


夢を見るようになったのは、最初の手術の直後だった。

麻酔が抜けきらない夜、石畳の音がした。 馬の蹄ではなく、革靴の踵。 複数の男の、急かされたような足音。 そしてドアをノックする音——三回、間を置いて二回。

目が覚めると病室で、窓の外は東京の夜だった。

夢だと思った。ただの夢。 手術のストレスか、麻酔の残滓か。

でも翌週も見た。翌月も。 場所はいつも同じだった。 石造りの建物の二階、赤いカーテンが引かれた部屋。 麻衣はそこで何かを管理している。何を、とは言えない。でも「管理」という感覚だけが、夢から覚めても残った。 帳簿をつける手。女たちの名前を覚えている頭。客の顔を値踏みする目。

パリ、と麻衣は思った。なぜかはわからない。 十九世紀、と続けて思った。それもわからない。 でも知っていた。 知識としてではなく、皮膚が覚えていた


引越し先の新しいアパートで、麻衣は段ボールを開けながら考えた。

前世というものがあるとして——そこで自分は何をしていたのか。

売春宿のオーナー。女を売る仕事。

罪悪感があるか、と問われれば、正直わからない。 夢の中の自分は悪びれていないし、誇ってもいない。 ただそこにいる。夜に帳簿を開き、朝に錠をかける。 それだけの人間として。

ただ…ひとつだけ、ずっと引っかかっていることがある。

女たちの顔が、夢に出てこない。

客の顔は出る。 廊下の模様も、窓から見える街路樹も、帳簿の罫線も。 でも女たちの顔がない。ぼやけている、のではなく、最初からそこに描かれていない、という感じ。

麻衣はガムテープをはがしながら、その空白について考えた。

自分はあの女たちを、見ていなかったのかもしれない。 あるいは——見ることを、やめていたのかもしれない。


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