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第四章

柵の内側

玄さんは、私のことを米軍兵にこう紹介していた。

「東京で作った愛人の娘」

冗談みたいな嘘だったけれど、おかげで私は基地の中にも顔パスで出入りできた。深夜の浜辺で、ウミガメの卵がかえる瞬間を見ようとキャンプをしたこともある。「フェンスの内側はもうアメリカだから」と、玄さんは笑っていた。

敗戦から何十年経っても、この島にはずっとアメリカの旗が立っていた。基地の柵の中で働く沖縄の人たちは、沖縄本土より高い時給で豊かに暮らしていた。それでも柵の中と外は、はっきり分かれていた。

でも玄さんは、雇われてもいないのに、その柵の中を平気で出入りしていた。給料をもらっているわけでも、契約があるわけでもない。あるのは、向こう側の人間との繋がりだけだった。

権力で、人を雇うことはできる。だが、人のつながりまでは奪えない。玄さんは、その隙間をちゃんと知っていた男だった。

——結局そのウミガメの赤ちゃんを、見ることはできなかった。出勤時間が近づいて、後ろ髪を引かれながら現場を離れた直後、「生まれたよ、今すぐ戻れ」と電話が鳴った。社畜根性が抜けきっていなかった私は、結局戻らなかった。10年経った今でも、たまに思い出しては悔しくなる。

また、ある時、玄さんの知り合いから全長10メートルはあろうかという深海イカをいただいた。冷凍庫に収まらないので、これまた近所中に配って歩いた。

玄さんの周りには、いつもそういう、おかしな贈り物が流れ込んできた。

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