本棚の奥に、ずっと気になっていた本があった。
ヴォイニッチ手稿だった。
15世紀初頭に作られたとされる羊皮紙の写本。 奇妙な植物の絵と、未知の文字が書き記されている。 植物図鑑のようなセクション、天文図のようなセクション、裸体の女性たちが管でつながれているセクション、レシピのようなセクション。
世界中の暗号学者が挑んだ。言語学者が挑んだ。AIが挑んだ。 100年以上かけて、誰も読めなかった。
幸はそれを引っ張り出して、植物の挿絵のページを開いた。
見覚えのある構造だった。
根っこから伸びる茎。茎の股から出る芽。茎の脇から出る花。
これはトマトの設計図と同じだ。
でも、手稿に描かれた植物は、実在しない形をしていた。 根っこが人間の足のように分かれているものがあった。 茎が体の輪郭に似ているものがあった。 花びらが指のように広がっているものがあった。
植物と人体が、同じ原理で描かれている。
いや、もっと正確に言うなら——植物の図を使って、人体の仕組みを説明しようとしている。
そういう本なのかもしれない。
幸は手稿の写真を、食い入るように見た。
この本が、どこから来たのか?誰も知らない。
1912年、イタリアのモンドラゴーネ別荘で発見されたポーランド系アメリカ人書籍商のウィルフリッド・ヴォイニッチが、イエズス会から購入した。 それ以前の来歴は、断片的にしかわからない。 神聖ローマ皇帝ルドルフ二世が所有していたという記録がある。 16世紀の錬金術師ジョン・ディーが持っていた可能性もある。
でも、最初に誰が書いたのか。なぜ書いたのか。どこで書いたのか。
何も、わからない。
幸はそれが、不思議だと思った。
写本というのは、必ず何かを目的として書かれる。 聖書の写し、医学書の写し、薬草図鑑の写し。 必ず「元になるもの」があって、それを残すために写される。
でもヴォイニッチ手稿は、元になるものが見つかっていない。
これが写本なら、原本はどこにあるのか。
あるいは——これは写本ではなく、原本そのものではないか。
原本だとすれば、誰かがゼロから書いた。 何かを知っている者が、それを記録するために書いた。
何を?記録した?
幸は一つの仮説を立てた。
荒唐無稽だと自分でもわかっていた。 でも、植物を観察し続けた10年が、この仮説を否定させなかった。
この本は、この世界で書かれたのではないかもしれない。
次元の違う場所で——人間という生き物を研究し、理解し、あるいは設計した存在が——その知識を記録した文書が、何らかの理由でこの世界に持ち込まれた。
事故のように。あるいは意図的に。
持ち込んだ者が使った言語は、地球のどの言語とも一致しない。だから誰も読めない。
でも、図は残っている。
植物に見せかけた、あるいは植物と人体を同一のものとして捉えた、生命の設計図が。
設計図。
幸はその言葉を、頭の中で繰り返した。
設計図があるということは、設計者がいるということだ。
設計者がいるということは、製造者がいるということだ。
製造者がいるということは——人間は、作られた存在だということになる。
女のまたから自然に生まれるのではなく、何らかのプロセスで、意図的に作られた。
その作り方が、ヴォイニッチ手稿に書かれている。
植物の原理に従って。 またから命を生み、脇から文明を実らせる生き物として。