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第六章

魂という乗り物

でも、体だけ作っても意味がない。

 幸はそう思った。

 人間というのは、体と魂で構成されている。 少なくとも幸はそう思っている。 体は魂が三次元を体験するための乗り物だ。

 乗り物だけ作っても、乗り手がいなければ動かない。

 では、魂はどこから来るのか。


 幸の考えでは、魂は本来、肉体を持っていない。

 肉体のない状態で、どこかに存在している。 意識として。エネルギー体として。情報として。

 その魂が、三次元を体験したいと思った時、肉体に入る。

 でも、全ての魂が肉体に入れるわけではない。 魂と肉体には相性がある。 どんな肉体でも魂が入れるなら、地球上に肉体を持てない魂など存在しないはずだ。 でも実際には、肉体化できない魂が大量にいると、幸は感じていた。

 三次元というのは、物質が存在する空間だ。 重さがあり、温度があり、痛みがあり、喜びがある。 匂いがあり、音がある。

 それは、肉体のない状態では体験できないことだ。

 アトラクションとして、三次元は存在しているのではないか。

 魂が乗り込むための、体験施設として。喜びも悲しみも、全部含めて体感するための場所として。

 そのアトラクションに乗るための「乗り物」が、人体だ。


 ネフィリムについて、幸はもう一度考えた。

 ネフィリムは「天の存在」と「地の人間」の混血だと聖書は言う。

 でも幸の解釈は少し違う。

 ネフィリムとは、もともと肉体化できなかった魂の集合体ではないか。

 肉体に入りたい。三次元を体験したい。 でも、相性の良い人体が存在しない。 あるいは、相性の良い体を作る方法を知らない。

 そこで、強引に入り込んだ。

 地球にもともとあった人体——本来の人間、一寸法師のような小さな存在——の遺伝子を改変して、自分たちが入れる体を作った。

 その結果生まれたのが、ネフィリムだ。 巨大化した、改変された人体。

 改変は、一度で終わらなかった。 世代を重ねるごとに、改変は広がった。 本来の人間の遺伝子が薄まり、ネフィリムの遺伝子が濃くなっていった。

 そして今——

 私たちの中に、本来の人間の遺伝子は、どれくらい残っているのだろうか。


 善と悪という概念を、幸はこの話に当てはめない。

 ネフィリムが悪で、本来の人間が善だとは思わない。

 ネフィリムもただ、肉体を持ちたかっただけだ。 三次元を体験したかっただけだ。 その欲求は、理解できる。 理解できるから、責めることもできない。

 ただ、問題がある。

 自己中心的な欲求は、循環を止める。

 三次元というアトラクションは、循環によって成立している。 命が生まれ、生き、死に、また生まれる。 エネルギーが流れ、変換され、また流れる。 その循環があるから、アトラクションは動き続ける。

 でも、自分だけのために、循環を止めようとする存在が増えると——

 アトラクション全体が、機能しなくなる。

 肉体のない魂が入れる体がなくなれば、三次元を体験できる存在がいなくなる。 それは誰にとっても、損失だ。 ネフィリム系の魂にとっても、本来の人間系の魂にとっても。

 だから、循環は必要だ。

 善悪ではなく、機能の問題として。 アトラクションを維持するために、循環は必要だ。