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第六章

本当の病

地球には、たくさんの水がある。海があり、雨があり、川がある。太陽系の中で、最も水に恵まれた星だ。

 だったら、と雫は思う。あの水の子たちが、宇宙を渡って、星から星へ、命のもとを手渡していたように——地球でも、恵みはもっと、分かちあわれているはずじゃないのか。

 けれど、雫の知っている地球は、そうではなかった。

 思い出すのは、宇宙に来る前の、日常のことだ。父と母が、愛し合って、雫は生まれた。それ自体は、何も間違っていない。けれど、人は、生きるために、働かなければならない。食べるために、住むために、時間を切り売りする。──幼いころから、ずっと、それが当たり前のことだと思っていた。でも、これって、本当に当たり前なのだろうか。

 愛から生まれてきた命が、生きるために、闘わなければならない。おかしい、と雫は思う。ずっと、うまく言葉にできなかったけれど、今、暗闇の中で、その違和感に気づいた。

 理科の授業で覚えた、あの呪文が、ふと頭をよぎる。「水兵リーベ、僕の船」。水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム……この宇宙を形づくる、材料。地球には、命が生きていくのに必要な材料は、もとから、全部揃っている。土があり、水があり、光がある。全人類が生きていける分だけの恵みが、はじめから、この星には用意されていた。

 それなのに、なぜ、争わなければ、生きていけないのか。

 雫は、答えに、たどりついてしまう。──独占する者が、いるからだ。恵みを、みんなで分けあうかわりに、囲いこみ、抱えこむ者がいる。だから、それ以外の者は、囲いの外から、対価を払って、分けてもらうしかなくなる。その対価を得るために働く。本来、労働なんて不要だったはずのものが、まるで、生きるための必須条件かのように、常識化されている。

 やりたいことを、やる。それは、労働ではない。それは喜びだ。誰かに強いられて、生きるための対価として、時間を差しだす。これが労働だ。地球では、いつのまにか、その二つが、ごちゃまぜにされている…

 地球は、支配という病を患っているのだ。太陽が暗くなることよりも、ずっと前から、静かに、そしてとても深く。

 雫は、暗闇の中で、そっと、目を閉じた。

 生き物は、生き抜くために、生まれてくるのではない。雫は、そう思う。生まれて、誰かに愛され、誰かを愛し、その幸せを、次の命へ繋いでいく。──ただ、それだけのために、生き物は、この世に生まれてくるのだ。命のリレー。星から星へ、水の子たちが、幸運を手渡していくのと同じように。

 だとしたら?

 もし、この決死のミッションが成功して、太陽の灯りを、取り戻せたとして。畑が実り、人々が、また飢えずに済むようになったとして。それで、本当に救われたことになるのだろうか。恵みの星に戻っても、そこにまだ、囲いこみと独占が残っているなら——それもまた、ひとつの伝染病ではないのか。

 雫は、コハクの方を、見た。コハクは、何も言わず、ただ静かに、あの琥珀色の光を、灯していた。まるで、雫の考えが、しっかり届いている、というように。

 いつか、地球に帰ったら。この目で見てきたことを伝えたい。星々を巡る幸運の形を。そして、その幸運が、なぜ、自分の生まれた星でだけ、うまく循環していないのかを。

 窓の外では、暗闇の中に、遠い光の粒が、いくつも、瞬いていた。

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