画面の中に、名前が並んでいた。
縦に。
橋 中 神 山 小
本 島 谷 崎 原
その一文字ずつの、右上に。
点が、あった。
濁点が。半濁点が。
そして――縦に並んだ名前の、右の縁に沿って。
点が、一本の線になっていた。
ハヅキは、声が出なかった。
「気づいたか」御門が言った。
「……揃ってる」
「揃う」
御門は、画面を指した。
「濁点も半濁点も、文字の右上につく。決まってるんだ。千年前から」
「はい」
「横書きだと、点は上にバラける。行の上の方に、ぽつぽつと散る」
御門は、横書きの表示に切り替えた。
たしかに、点は散っていた。てんでばらばらに。
「だが縦にすると」
御門は、切り替えた。
点が、一列に並んだ。
「右の縁に、全部並ぶ」
ハヅキは、その線を見つめた。
「……海岸線みたい」
「そう見えるか」
「見えます」
御門は、少し笑った。
「俺には、そう見えた」
御門は、椅子にもたれた。
「三十年、フォントをやってきた。縦書きのために、何万字ぶんの『縦用の形』を作った。誰も気づかない仕事だ」
「……」
「句読点の位置を変える。カギカッコの向きを変える。長音符を回転させる。全部、縦のときだけ必要になる」
御門は、天井を見た。
「保存されない仕事だ。データには残らない。表示されるときだけ、俺の仕事が、そこにある」
ハヅキは、言った。
「虚しくないですか」
「虚しいよ」
御門は、あっさり言った。
「だが、虚しいのと、無いのは、違う」
ハヅキは、その言葉を、噛みしめた。
「御門さん。契約、切られたんですよね」
「切られた」
「なんで揉めたんですか」
御門は、少し間を置いた。
「戸籍のシステムを、横書きだけにするという話が出た」
「え」
「効率だ。当然の判断だと思う」御門は言った。「だが、俺は反対した。三ヶ月止めた」
「なんでそこまで」
「戸籍ってのはな」
御門は、遠くを見た。
「縦書きなんだよ。もともと」
ハヅキは、何も言えなかった。
「明治から百五十年、戸籍は縦に書かれてきた。右上から、下へ。名前も、続柄も、生年月日も」
御門は言った。
「それを横にするのは、別に構わない。だが――縦だったことを、データが覚えていないのが、俺は嫌だった」
御門は、画面の中の、点の線を指した。
「これだ。縦にしないと、この線は見えない」
「……はい」
「横にした瞬間、線は消える。そして、消えたことも、記録されない」
ハヅキは、その線を見つめ続けた。
一万二千八百四十一人。
縦に並べたら、どれだけ長い線になるのだろう。
「御門さん」
「なんだ」
「一万二千件、全部、縦にできますか」
御門の眉が、上がった。
「……表示できるだけでいいのか」
「はい。表示だけで」
「なら、できる」
御門は、キーに手を置いた。
「どのくらいの長さになると思う」
「わかりません」
「計算した」御門は言った。「文字サイズを十ポイントにして、一列に並べると」
御門は、数字を出した。
「四十二メートル」
ハヅキは、口を開けた。
「四十二メートル!?」
「点の線が、四十二メートル続く」
ハヅキは、立ち上がった。
「それ、見たいです」
「見せてやる」御門は言った。「だが、それだけじゃ勝てないぞ」
「わかってます」
ハヅキは、拳を握った。
「あと一個、要るんです。決め手が」
そのとき。
床で寝ていたベンが、突然、はね起きた。
「わかったァーーーッ!!」
ハヅキと御門が、飛び上がった。
「うるさい!」
「寝言ですか!?」
「違います! 起きてます! 今、夢の中でわかったんです!」
ベンは、床を這って、ホワイトボードに向かった。
そして、書いた。
かきくけこ がぎぐげご さしすせそ ざじずぜぞ たちつてと だぢづでど はひふへほ ばびぶべぼ ぱぴぷぺぽ
「濁点がつく行は、四つしかありません」
ベンは、ペンの尻でボードを叩いた。
「か行、さ行、た行、は行。それだけです」
「はい」
「で」
ベンは、いちばん下の行を、横に囲んだ。
「一行だけ、はみ出してるでしょう」
ハヅキは、そのボードを見た。
三行は、途中で終わっていた。
一行だけが、右へ続いていた。
ぱぴぷぺぽ。
「……本当だ」
「日本語の五十音で、三つの状態を持つ行は、は行だけです」
ベンは、振り返った。
目が、血走っていた。
そのとき、ハヅキの中で、何かが跳ねた。
彼女は、鞄からメモを引っ張り出した。
三日前に、甲賀の画面から書き写した三行だった。
オ + ハ + + ラ オ + ハ + ゛ + ラ オ + ハ + ゜ + ラ
ハヅキは、それをボードの横に貼った。
そして、二つを、交互に見た。
無。゛。゜。
は。ば。ぱ。
「……同じだ」
「え?」
「同じですよ、これ」ハヅキは言った。「小原志乃さんの三行と、は行と、同じ形してる」
ベンが、ボードとメモを見比べた。
「……あ」
「あの人が三人いるんじゃない。は行が三つあるだけだったんだ」
ベンは、口を押さえた。
「そして、その三つ目の名前を、知ってますか」
ハヅキは、首を振った。
ベンは、ボードに書いた。
半濁音
「半分です」ベンは言った。「濁ってるとも、清んでるとも、決められなかったから、半分って名前がついたんです」
ハヅキの、背中に、電気が走った。
「決められなかったから」
「そうです」
ベンは、ペンを置いた。
「千年前の日本人も、決められなかった。だから『半』って書いた。そして、その決められないものを、正式な文字として、五十音表に入れた」
ハヅキは、両手で、口を覆った。
そして、ゆっくりと言った。
「……これだ」
「え」
「これだ!!」
ハヅキは、叫んだ。
「これですよ! 理屈は! これです!」
「え、え、なんですか!」
「日本語は、千年前から、三つ目の状態を持ってる!」
ハヅキは、ホワイトボードを、両手で叩いた。
「決められないものを、決められないまま、正式に置く場所を、日本語はもともと持ってたんですよ!」
御門が、ゆっくりと立ち上がった。
「……なるほどな」
「私たちがやろうとしてるのは、新しいことじゃない! 元に戻すだけです!」
ハヅキは、時計を見た。
朝の四時だった。
「甲賀さんに、電話します」
「四時ですよ!?」
「起きてますよ、あの人」
ハヅキは、携帯を耳に当てた。
三コールで、出た。
「……甲賀です」
「橘です。起きてました?」
「起きてたわ」
「なんでですか」
「あなたが電話してくると思ってたから」
ハヅキは、笑った。
「甲賀さん」
「なに」
「会議、開いてください」