「縦に読め、って何ですか」
ハヅキは画面を睨んだ。
甲賀は腕を組んで、同じ画面を見ていた。
「不正アクセスね。通報するわ」
「待ってください。この人、名前を名乗ってます」
「不正アクセスして名乗る人がいる?」
「いるじゃないですか、目の前に」
甲賀は少し黙った。
「……御門十郎。聞いたことある名前ね」
「知ってるんですか」
「うちの前のフェーズで、フォント関係の外注に入ってた人。契約は半年で切れてる」
「切られたんですか」
「揉めたのよ」甲賀は珍しく、言葉を選んだ。「彼、縦書き対応にこだわって、スケジュールを三ヶ月遅らせた」
「フォントで三ヶ月?」
「本人に聞きなさい」甲賀は住所をメモに書いた。「私は行かない。あなたが行って」
「え、いいんですか」
「良くはないけど」甲賀はメモを渡した。「二万件を放置するほうが良くない」
御門十郎の仕事場は、神保町の古いビルの四階にあった。
エレベーターがなかった。ハヅキは階段を上がりながら、パンを食べた。
ドアには何も書いていなかった。
ノックすると、中から声がした。
「開いてる」
開けて、ハヅキは息を呑んだ。
部屋中に、金属の塊が並んでいた。
小さな四角い金属が、木の棚に、何万個と。
「……これ、何ですか」
「活字」
奥から男が出てきた。四十代半ば。作業着。目の下に、生涯抜けないであろうクマがあった。
「昔の印刷は、これで組んでた。一文字ずつ、金属を並べて」
「重そう」
「重い」御門は活字を一つつまんで、ハヅキに渡した。「持ってみろ」
小指の先ほどの金属だった。ずしりと重かった。
裏返すと、「あ」の字が、逆さまに彫ってあった。
「文字って、こんなに重かったんだ」
「今は軽いだろ。データだから」
御門は椅子に座った。
「橘ハヅキ。名寄せの担当だな」
「なんで名前を」
「島に入ってるから」
ハヅキは、活字を握ったまま立ち尽くした。
「島を、見てるんですか」
「見てる」
「不正アクセスですよ」
「そうだな」
あっさり認めた。
「じゃあ、通報しますけど」
「その前に一つ、見せたいものがある」御門は端末を開いた。「五分でいい」
画面に、一行の文章が出た。
橘葉月
「これ、私です」
「そう。横書きで表示されてる」
御門はキーを一つ押した。
文字が、縦に並び替わった。
橘 葉 月
「……縦になりましたね」
「今、何が起きたと思う」
「回転した?」
「違う」
御門は別のウィンドウを開いた。文字化けのような記号が並んでいた。
「これが、さっきの文字列の中身だ。データそのもの。ここに縦書きの情報は、一文字も入ってない」
ハヅキは画面を覗き込んだ。
「え。じゃあ、さっきの縦書きは」
「フォントが、その場で作った」御門は言った。「表示するときだけ、フォントが『縦用の形』に置き換えてる。保存すれば消える。データには残らない」
部屋が、静かになった。
「……縦書きって」ハヅキは言った。「データに、存在しないんですか」
「存在しない」
「じゃあ、日本の縦書きの本って、全部」
「全部、表示のときだけ立ち上がってる。閉じれば横に戻る」
御門はコップの水を飲んだ。
「俺は、それを立ち上げる仕事をしてる。保存されないものを、その都度、立ち上げる」
ハヅキは、自分が持っている活字を見た。
重かった。ずしりと重かった。この重さは、保存されていた。金属だったから。
「なんで、この話を私に」
御門は端末を回して、ハヅキに向けた。
そこに、小原志乃の三行が並んでいた。
オハラ。オバラ。オパラ。
「三人目に、気づいたのはあんたが初めてじゃない」御門は言った。「気づいた人間は、これまでに十一人いる」
「十一人」
「全員、島の中にいる」
ハヅキの背中を、冷たいものが走った。
「気づいた人が、島に入ってるってことですか」
「そうだ」
「なんで」
御門は、ゆっくりと言った。
「気づいた人間は、必ず、判定を保留にするからだ」