会社に戻ったとき、時計は夜の九時を回っていた。
甲賀は画面の前に立ったままだった。
「昨日の時点で、19,847件」
甲賀は言った。
「今、19,203件」
「六百件、減ってる」
「一日で」
ハヅキは端末に飛びついた。
「誰が消したんですか」
「消してない」甲賀は言った。「統合されたの」
ログを開いた。処理者の欄には、すべて同じ名前が入っていた。
AUTO-MERGE / 自動統合エンジン
「自動?」
「今月から本稼働してるの。判定パターンを学習して、人間が判断したのと同じ基準で統合する」甲賀は言った。「私が導入を決めた」
ハヅキは甲賀を見た。
「じゃあ、あと三十日で島は」
「消える」
「二万人が」
「二万人は消えない」甲賀は静かに言った。「二万人ぶんの、片方の読みが消える」
ハヅキは息を吸った。
「小原志乃さんは、どうなるんですか」
「三件が一件になる。おそらく、おはらに」
「おぱらは」
「消える」
「証拠なのに?」
「証拠じゃないわ。異常値よ」
甲賀の声には、一切の迷いがなかった。
「橘さん。あなた、こう思ってるでしょう。私が乱暴なことをしようとしてるって」
「……少し」
「じゃあ聞くけど」甲賀は椅子を引いて座った。「小原さんの遺族が、相続の手続きに来たとする。窓口で、私たちはどう答えるの」
ハヅキは答えられなかった。
「『あなたのおばあさまは、システム上、三人いらっしゃいます』?」甲賀は言った。「銀行はどうする。年金はどうする。遺族はどこに頭を下げに行くの」
「……それは」
「決めないことは、優しさじゃない」甲賀は言った。「決めない負担は、必ず、いちばん弱い人のところに落ちる」
ハヅキは、窓口で何度も頭を下げてきた自分を思い出した。
はづき。はずき。
「私は」甲賀は言った。「あなたみたいな人を、もう作りたくないの」
ハヅキは、言葉を失った。
甲賀は、正しかった。
正しすぎた。
その夜、ハヅキは帰らなかった。
深夜二時、フロアにはハヅキ一人だった。
彼女は島のリストを、上から順に眺めていた。
一万九千二百三行。
一行ずつ、人がいる。
橋本さん。中島さん。神谷さん。山崎さん。
読みが二つある人たち。どちらも本物で、どちらも間違いじゃない人たち。
そしてその中に、自分がいる。
[4] 橘 葉月 タチバナ ハヅキ / タチバナ ハズキ
ハヅキは、その行を長いこと見ていた。
「どっちも、私なんだけど」
誰も聞いていなかった。
ハヅキは、統合ボタンにカーソルを合わせた。
押せば、終わる。
自分で、自分をどちらかに決められる。二十四年間、他人に決められてきたことを、自分で。
指が、動かなかった。
「……なんで、押せないんだろ」
そのとき。
画面の隅に、通知が出た。
SHIMA-00:新規レコードが追加されました。
ハヅキは飛び上がった。
「追加!? 減るんじゃなくて!?」
新しい行が、リストの一番下に増えていた。
[19204] 九十九 ― ツクモ ― ―
備考:まだ生きてる
「……は?」
備考欄が、続いた。
「島を作ったのは私です。三十年前に」
「会いに来なさい。急ぎなさい。私はもうすぐ死ぬから」
住所が、一行だけ書いてあった。
千葉県の、聞いたことのない地名だった。