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第七章

三日

一日目。

三人と、途中から甲賀が加わって、四人になった。

段ボールの紙を、一枚ずつ撮影して、データにしていく。単純作業だった。

「これ、何枚あるんですか」

「九十九さんが言うには、四千二百枚」

「四千二百!?」

ベンが叫んだ。

「一日千四百枚! 無理ですよ!」

「無理じゃないよ」ハヅキは言った。「一分に一枚なら、二十四時間で千四百枚。四人でやれば余裕」

「計算がおかしい! 人間は寝るんですよ!」

「寝るの?」

「寝ますよ!」

御門が、黙々とスキャンしながら言った。

「橘。あんた、三年前からそうやって仕事してんのか」

「そうですけど」

「体、壊すぞ」

「壊れたら、そのとき考えます」

甲賀が、書類の山の向こうから言った。

「橘さん。それ、私が若い頃と同じこと言ってる」

「甲賀さんも壊れました?」

「一回ね」

「治りました?」

「治ってない」

ハヅキは、手を止めた。

「……じゃあ、二日目は寝ます」

「素直か」御門が言った。

二日目の朝。

ベンが、悲鳴を上げた。

「見つけたァーーーッ!!」

四人が集まった。

ベンが持っていたのは、明治十一年の記録の写しだった。

「これ、見てください。同じ村の、同じ日の記録です」

紙には、五つの名前が並んでいた。

「ここ、姓が全部『小原』なんですよ。同じ村の、同じ一族」

「うん」

「読みが、三種類ある

ハヅキは覗き込んだ。

おはら。おばら。おぱら。

「同じ一族で、読みが三つ?」

「そう。おかしいでしょう」ベンは言った。「一族なら、普通は同じ読みです」

「じゃあ、なんで」

ベンは、記録の日付を指した。

「この五人、年齢が違うんです」

ハヅキは、数字を追った。

小原 ぱら(と読む)  七十九歳
小原 ぱら       七十二歳
小原 ばら       五十一歳
小原 はら       二十八歳
小原 はら        九歳

部屋が、静まり返った。

「……年寄りほど、ぱ」

ハヅキは、声を出した。

「若いほど、は」

ベンが、震える声で言った。

「これ、音の変化が、家族の中で起きてる瞬間です」

御門が、ゆっくり立ち上がった。

「一枚の紙の中に、三世代の日本語が入ってる」

「そういうことです」

甲賀が、腕を組んで、その紙を見ていた。

「……これ、本物なの」

「明治十一年の、公文書の写しです」ベンは言った。「聞き取りをした役人が、律儀に音を書き分けてる。この人、たぶん、耳がすごく良かった」

ハヅキは、その名も知らない明治の役人を思った。

村を回って、一人ずつ名前を聞いて、聞こえたとおりに書いた人。

上司には怒られただろう。統一しろと言われただろう。

それでも、聞こえたとおりに書いた。

百五十年後に、こんなことになるとは思わずに。

「……ありがとうございます」

ハヅキは、紙に向かって言った。

「橘さん、誰に言ってるの」

「書いた人に」

甲賀は、何も言わなかった。

二日目の夜。

四千二百枚のスキャンが、終わった。

そして集計が出た。

パ行表記のある記録:全国 47都道府県中、41で確認 総数:734件 最古:明治4年 最新:明治22年 その後、記録上ゼロ

「明治二十二年で、消えてる」

甲賀が言った。

「何かあった年ですか」

ベンが、静かに答えた。

帝国憲法が発布された年です

「関係あるんですか」

「たぶん、直接は関係ない」ベンは言った。「でもこの前後、国が本気で『標準語』を作り始めるんです。学校で、方言を矯正するようになる」

ベンは、うつむいた。

「消えたんじゃない。消させたんです

四人は、黙った。

ハヅキは、集計画面を見つめた。

七百三十四件。

明治のある時期まで、この国に確かに存在して、それから、消えた音。

そして。

そのうちの一件が、今、島の中で、消される順番を待っている。

「甲賀さん」

ハヅキは言った。

「これ、通りますか」

甲賀は、長い時間、答えなかった。

「……通らない」

「え」

「通らないの」甲賀は言った。「悔しいけど」

甲賀は椅子を回して、ハヅキに向き直った。

「これは『貴重な学術資料である』という言い分でしょう。それは正しい。でも、上はこう言う」

甲賀は、上司の口調を真似た。

「『では学術機関に寄贈してください。行政の基幹データベースは、研究の保管庫ではありません』」

ハヅキは、拳を握った。

「……そう来ますか」

「来る」甲賀は言った。「そして、その言い分も正しいのよ」

「正しいばっかりじゃないですか、この世は!」

「そうよ」甲賀は言った。「だから困ってるの」

御門が、床に座ったまま言った。

「橘。学術の話じゃ勝てない」

「じゃあ何なら勝てるんですか」

今、生きてる人間の話だ」

ハヅキは、御門を見た。

「島に入ってるのは、死んだ人だけじゃない」御門は言った。「あんたも入ってる。一万九千件のうち、生きてる人間が何人いる」

ハヅキは、飛びついて集計をかけた。

数秒後。

数字が出た。

存命:12,841件

「一万二千人……」

「生きてる」御門は言った。「今日も、窓口で頭を下げてる」

ハヅキは、その数字を見つめた。

一万二千八百四十一人。

自分と、同じ人たち。

「甲賀さん」

ハヅキは、顔を上げた。

「三日目、私に一日ください」

「何をするの」

会ってきます

「誰に」

「一万二千人のうちの、何人かに」

甲賀は、目を細めた。

「一日で?」

「一日でやれるだけ」

ハヅキは、コートを掴んだ。

「ベン、リスト作って。都内在住で、連絡先が取れる人。上から順に」

「今から!? 夜の十一時ですけど!」

「朝には作っといて」

「僕、いつ寝るんですか!」

「作ったら寝ていいよ」

「作り終わったら朝ですよ!」

ハヅキは、ドアに向かって走った。

そして振り返った。

「御門さん。一つ、お願いしていいですか」

「なんだ」

縦書きで、資料を作ってください

御門の眉が、動いた。

「……なぜだ」

ハヅキは、にやりと笑った。

「思いついちゃったんですよ。すごいこと」

そして、走り去った。

御門と甲賀とベンが、その背中を見送った。

「あの子」ベンが言った。「体力おかしくないですか」

「おかしい」御門が言った。

「牛丼のせいでしょうか」

「牛丼のせいだな」

甲賀だけが、少し違うことを考えていた。

思いついちゃったんですよ。

あの顔を、甲賀は知っていた。

二十年前、鏡の中で見たことがあった。

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