ミサキは、その日、一つのことに気づいた。
自分が、時計回りの意味を知らない。
いや、知っている。時計の針が回る方向だ。
だが、なぜ時計の針は、そっちに回るのか。
考えたことがなかった。
ミサキは、図書館に行った。
そして、三時間後、本を閉じて、声を出した。
「……嘘でしょ」
隣の席の人が、振り返った。
ミサキは、声を潜めた。
日時計。
機械式の時計が作られる前、人類は日時計を使っていた。
棒を立てて、影の動きで時間を測る。
北半球では、太陽は東から昇り、南の空を通って、西に沈む。
だから影は、西から、北を通って、東へ動く。
つまり――上から見ると、左から右へ、時計回りに動く。
機械時計は、その動きを真似て作られた。
ミサキは、本の余白に、鉛筆でメモを書いた。
時計回り=北半球の影の向き
そして、その下に、もう一行書いた。
もし時計が南半球で発明されていたら、時計回りは逆だった
ミサキは、その一行を、長いこと見ていた。
私たちが「時計回り」と呼んでいるものは、宇宙の法則ではない。
北半球の、影の癖だ。
そしてそれを、世界中の人間が、絶対の基準として使っている。
「……えぐいな」
ミサキは、本を閉じた。
そして、走って図書館を出た。
会社に戻って、ミサキは戸倉に電話をかけた。
「戸倉さん。北半球と南半球で、渦の向きって変わりますか」
「変わりますよ。台風は北半球で反時計回り、南半球で時計回りです」
「なんで」
「コリオリの力です」
「なんですかそれ」
「……あなた、それ知らないでこの仕事してるんですか」
「してます」
戸倉が、電話の向こうで、長いため息をついた。
「地球が回ってるからです。回転してる面の上で、まっすぐ動こうとすると、曲がって見えるんですよ」
「曲がるんですか」
「曲がって見えるんです」戸倉は言った。「実際は、まっすぐ動いてる。地面のほうが回ってる」
ミサキの手が、止まった。
「……もう一回、言ってもらえますか」
「実際は、まっすぐ動いてます。地面のほうが回ってるんです」
ミサキは、メモを取った。
初めて、この仕事でメモを取った。
「戸倉さん」
「はい」
「じゃあ、北半球と南半球で、逆向きに見えるのって」
「当たり前ですよ」
「当たり前なんですか」
「当たり前です。中学で習います」
ミサキは、受話器を握りしめた。
「じゃあ、なんで今回、逆なのが問題になってるんですか」
戸倉が、黙った。
十秒くらい、黙った。
「……あ」
「あ、って」
「いや、待って。待ってください」
紙をめくる音がした。
「今回の観測項目、渦じゃないんですよ」
「じゃあ何ですか」
「振り子です」