パリ、1903年冬
その夜、マドレーヌは帳簿を閉じた。
いつもと同じ動作だった。 表紙を手前に引いて、ぱたんと閉じる。 でも今夜は、閉じた後に手をそのままのせておいた。 革の表紙の冷たさを、手のひらで感じた。
十五年分の帳簿だった。 この建物に来てから、ずっとつけ続けた。 数字の中に、女たちの夜があった。客の数があった。 雪の夜の売上が落ちること、祭りの夜は伸びることが、数字を見ればわかった。 でも女たちが笑った夜も、泣いた夜も、帳簿には出てこなかった。
マドレーヌはようやくそれを、知った。
エロイーズは去年、故郷へ帰った。 マドレーヌが餞別を渡した。 少し多めに。帳簿には記録しなかった。
クレマンティーヌは結婚した。 相手は市場の魚屋だった。 幸せかどうかは、わからない。 でも選んだのは彼女だった。
マリーはまだいる。もう若くない。でも客が来る。 マリーは笑うのが上手だった。 本当に笑っているのか、マドレーヌにはずっとわからなかった。 でも最近、少しだけわかるようになった。 本当に笑っている夜と、そうでない夜の、わずかな違い。
遅すぎた、とマドレーヌは思った。 でも気づかないより、いい。
暖炉の前に、一枚の紙が置いてあった。 ロートレックがくれたスケッチ。 帳簿の間に挟んでいたものを、今夜初めて出した。
帳簿を見ているマドレーヌの横顔。
よく描けている、と思った。 自分の顔なのに、他人のように見えた。 この女は何を考えているのだろう、と思った。 数字を追いながら、本当は何を見たかったのだろう。
答えは、もうわかっていた。
女たちの顔を、見たかった。 名前を、呼びたかった。 エロイーズ。クレマンティーヌ。マリー。ソフィー。アデル。 ただそれだけのことを、十五年かけて、ようやくできるようになった。
窓の外で雪が降り始めた。
マドレーヌは暖炉の前でスケッチを見ながら、静かに思った。 次の世では——と。
次の世では、もっと早く、見る。
それだけを、思った。